「悪党だから天罰が下ったのさ」
「どん底の暮らしが原因だ」
強欲な家主が営む、間仕切りもない木賃宿。家主の年の離れた妻は、泥棒ペーペルと恋仲で、その妹も秘かに彼を慕っている。ギャンブルですべてを失った男爵、飲んだくれの俳優、アコーディオン弾き、恋愛小説に夢中の娼婦、そして謎の老人…。どん底の暮らしのなかで、ここから抜け出すことを夢見るペーペルと、ここを人生の終着点と諦観する男爵、対照的なふたりとその周囲の人間模様が展開していく。
ロシア文学を代表するゴーリキーの名作戯曲を、ジャン・ルノワール監督が脚色して映画化。当時存命だったゴーリキーの許諾を得て、原作にはない、ギャンブル依存症の男爵がすべてを失い、安宿に暮らすようになるまでのエピソードを付け加えた。男爵が全財産を失う前夜に、その邸宅に忍び込んだ、親の代からの泥棒ペーペル。ふたりが出会い、意気投合することにより、物語は階級を越えた人間同士の友情へと鮮やかな光彩を帯びていく。 泥棒ペーペルを名優ジャン・ギャバン、男爵をフランス演劇界の至宝ルイ・ジューヴェが演じ、第1回ルイ・デリュック賞を受賞したルノワールの出世作である。
ミュージック・ホールの芸人出身のジャン・ギャバンに対し、フランス演劇界を代表する存在のルイ・ジューヴェ。出自の異なる、ふたりの名優が織り成す演技のアンサンブルが素晴らしい。このふたりとジャン・ルノワール監督は、これが初めての顔合わせ。なかでもジャン・ギャバンとルノワールは本作を起点に、『大いなる幻影』(37)や『フレンチ・カンカン』(54)などで卓越した名コンビとなっていった。
強欲な家主が営む、間仕切りもない木賃宿。家主の年の離れた妻は、泥棒ペーペルと恋仲で、その妹も秘かに彼を慕っている。ギャンブルですべてを失った男爵、飲んだくれの俳優、アコーディオン弾き、恋愛小説に夢中の娼婦、そして謎の老人…。どん底の暮らしのなかで、ここから抜け出すことを夢見るペーペルと、ここを人生の終着点と諦観する男爵、対照的なふたりとその周囲の人間模様が展開していく。
1894年9月15日、パリ、モンマルトル生れ。画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの次男。第1次世界大戦に従軍し、足に銃撃をうけ負傷。その後航空学校でパイロットの資格を得、偵察飛行隊に配属されるが、まもなく後方勤務となり、パリで映画に耽溺する。
1924年『カトリーヌ(喜びなき人生)』と『水の娘』で映画監督デビュー。『素晴らしき放浪者』(‘32)、『ピクニック』(‘36)、『どん底』(‘36)を経て、『大いなる幻影』(‘37)で、アカデミー作品賞にノミネートされるなど国際的名声を得る。『ゲームの規則』(‘39)を最後に、第二次世界大戦がはじまり、アメリカに脱出。以後、ハリウッドを拠点に『スワンプ・ウォーター』(‘41)などを監督。戦後はインドを舞台にした『河』(‘50)、イタリアで撮った『黄金の馬車』(‘52)を経て、『フレンチ・カンカン』(‘54)『恋多き女』(‘56)で、母国フランスに回帰した。辛辣なまでのリアリズム演出と、大らかで楽天的な人生観が共存する豊潤な映画世界は不滅の輝きを持つ。1979年2月12日米国カリフォルニア州の自宅で死去。84歳。
1868-1936
幼くして一家離散となり、十代初めから様々な職業を経験した。独学を重ね、1892年に最初の短篇を発表。95年に27歳で発表した小説「チェルカッシュ」が出世作。チェーホフにすすめられ戯曲を書き始め、1902年に発表した2作目の戯曲「どん底」で国際的な名声を得た。第一次ロシア革命にかかわったのち、06年に渡米、その後イタリアに移ったが、13年に帰国。17年のロシア革命にも関わる。のちにレーニンと対立し、21年病気療養を兼ね、イタリアに渡る。28年以降しばしば帰国し、スターリンの求めにより32年に本格帰国、のちにスターリンと対立。36年6月、謎の死を遂げる。
1904年5月17日パリ生まれ。芸能一家に生まれ、芝居と歌を身につける。ジュリアン・デュヴィヴィエの『地の果てを行く』(35)が出世作で、同監督の『望郷』(37)、ジャン・ルノワール監督との出会いとなった『どん底』(36)、『大いなる幻影』(37)が代表作となるフランスの名優。第二次世界大戦中はアメリカに逃れハリウッドでも活躍。戦後はルノワールの『フレンチ・カンカン』(54) やジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』(54)などで円熟の境地を見せる。『ヘッドライト』(56)、『地下室のメロディー』(63)、『シシリアン』(69)(すべてアンヌ・ヴェルヌイユ監督)は国際的なヒットを記録した。ヴェネチア国際映画祭とベルリン国際映画祭でそれぞれ2度、男優賞を受賞している。1976年11月15日パリ郊外の病院で死去。72歳。
1887年12月24日ブルターニュ地方のクロゾン生まれ。父が公共事業の土木技師だったためフランス各地を転々とする。大学に進み、薬剤師の資格を取るが、若手演劇人と交流し劇団に加わる。この間、のちに教授となる国立高等演劇学校(コンセルヴァトワール)を3度受験し、すべて不合格となる。13年からヴィユ・コロンビエ劇場の舞台に立ち、演劇人として確固たる地位を築く。22年から34年まではシャンゼリゼ劇場、34年から急死した51年まではアテネ劇場で座長として活躍。第一次世界大戦には衛生兵として従軍。大戦末期には劇団を率い2年間のニューヨーク公演を行う。第二次世界大戦ではナチス支配を逃れ、一座を率いてブラジルに渡り、4年半にわたり中南米を巡業した。20世紀のフランス演劇界を代表する名優である。映画にはジャック・フェデーの『女だけの都』(35)から本格的に出演し、『どん底』でジャン・ギャバンと共演。他の代表作に、ジュリアン・デュヴィヴィエの『舞踏会の手帖』(37)『旅路の果て』(39)、マルセル・カルネの『北ホテル』(38)、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『犯罪河岸』(47)。1951年8月16日パリにて死去。63歳。
地域 | 劇場名 | 公開日 | 電話番号 |
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東京 | 第36回東京国際映画祭2023 | 上映終了 | 050-3538-3205(チケットコールセンター) |
神奈川 | 川崎市アートセンター | 上映終了 | 044-955-0107 |
北海道 | シアターキノ | 上映終了 | 011-231-9355 |
東京 | ユーロスペース | 上映終了 | 03-3461-0211 |
東京 | Morc阿佐ヶ谷 | 上映終了 | 03-5327-3725 |
東京 | 東京日仏学院 | 上映終了 | 03-5206-2500 |
神奈川 | シネマ・ジャック&ベティ | 上映終了 | 045-243-9800 |
神奈川 | 鎌倉市川喜多映画記念館 | 上映終了 | 0467-23-2500 |
埼玉 | 埼玉会館小ホール | 上映終了 | 048-762-9407(埼玉映画ネットワーク) |
群馬 | シネマテークたかさき | 上映終了 | 027-325-1744 |
新潟 | シネ・ウィンド | 上映終了 | 025-243-5530 |
長野 | 上田映劇 | 上映終了 | 0268-22-0269 |
静岡 | シネマe_ra | 上映終了 | 053-489-5539 |
愛知 | 名古屋シネマテーク | 上映終了 | 052-733-3959 |
大阪 | シネ・ヌーヴォ | 上映終了 | 06-6582-1416 |
京都 | 京都シネマ | 上映終了 | 075-353-4723 |
兵庫 | 元町映画館 | 上映終了 | 078-366-2636 |
愛媛 | シネマルナティック | 上映終了 | 089-933-9240 |
宮崎 | 宮崎キネマ館 | 上映終了 | 0985-28-1162 |
熊本 | Denkikan | 上映終了 | 096-352-2121 |
大分 | シネマ5 | 上映終了 | 097-536-4512 |
鹿児島 | ガーデンズシネマ | 上映終了 | 099-222-8746 |
沖縄 | 桜坂劇場 | 上映終了 | 098-860-9555 |